息子は、中学2年生の時に不登校になり復学支援をお願いして復学させていただきました。
高校1年生の時に部活の問題から、学校を休むようになり支援を継続してお願いしていました。
年齢が高くなる程、対応は複雑で難しくなりました。
息子の場合は、メンタルフレンドの先生方にもたくさん助けていただきました。
一方、3学年上の娘は息子と違うタイプの性質を持っていましたので、息子のことをずっと理解出来ずにいました。
ある日の夕方、娘が大学の帰りにメールを送ってくれました。
「今から、プリン買って帰るね」でした。
「ありがとう」(で終わらせれば良かったのですが)
ちょうどメンタルフレンドの先生方がいらしてくださっていましたので、
「2 つ多く買って来てもらえると助かる。代金は後で支払うから」と返事をしました。
娘からは「わかった」という返事だったのですが、
帰宅して、息子の様子を確認するとドアをバタン💢と閉めて自分の部屋に入って行き、それから私と口をきかなくなりました。
藤本先生にその日のご報告メールをさせていただき、娘のことも伝えたところ
「お姉ちゃんは、プリン買うの嫌だったのかな」とのお返事でした。
あっ、そうか!
その通りだと納得しました。
娘の気持ち、考えてあげないといけなかったです。
それに、息子の問題に娘を介入させてはいけなかったと反省しました。
(その後、介入させるには手続きが必要なことも教えていただきました)
私は、メンタルフレンドの先生方と息子が楽しそうにしているのが嬉しくておやつも一緒に食べたら楽しいだろうなと考えました。
娘は社交的な性格で、息子のお友達や私のお友達とも仲良くしてくれていましたので、軽く快く受けてくれると思っていました。
でも、
この件については違っていました。
娘から見たら
「息子は、たくさんの方々から助けていただき甘えている。
お母さんまで、おやつを頼むだなんて何考えてるのか」と思ったのではないかと想像しました。
「娘は大丈夫」と勝手に決めつけ、私の価値観を押しつけていた部分がありました。
娘だってまだ子供で、我慢したり受け入れがたいこともあったと思います。
復学支援をお願いして家庭教育も勉強していたはずなのに、私のなにげない行動の中に娘を介入させてしまうクセがまだ出ていた頃でした。
頭で理解していることと、実際に行っていることにはズレがあるんですね。
そういったことに自分で気がつくことって、なかなか難しいと思います。
それからは改めて、
娘との信頼関係も崩さないようにしなければと、娘の目線を大切にしてあげることや、
息子の問題に娘を介入させないように意識して気をつけるようになりました。
ですが、それからも休みがちな息子の態度に娘は苛立ち、私にはいつも「心配だし許せない」と、複雑な胸の内を話してくれていました。
「心配してくれてありがとう。確かにその通りだと思うよ。〇〇(息子)のことはお父さんとお母さんでみてるから、〇〇(娘)は自分のことを考えて過ごして大丈夫よ」といったことを話していました。
さすがに息子本人に直接言うことはありませんでしたが、
時々、爆発して主人に電話して訴えてもいたようです。
その後も息子は低空飛行を続けていました。
高校2年生の時の2学期は、特殊ルールに沿って登校していました。
その様子も以前、記事にさせていただきました。
この年の3学期、娘の不満が酷くなる前に藤本先生が対応をご指導くださいました。
娘に「息子への3学期の対応を考えてもらう」ということでした。
勿論、娘に伝えて決めるのは娘です。
断られたら諦めないといけません。
(これが介入の手続きで、本人に事前に確認をとるということです)
ただし、娘が息子に直接話すことはNGで、娘に手紙を書いてもらうということでした。
それが娘のカタルシスにもなり、息子にも娘の気持ちが伝わりプラスの力になるということです。
翌日の日曜日なら藤本先生がいらしてくださるお時間が取れるとのことで、
その日の夜までに娘に手紙を書いてもらい、内容を藤本先生に報告させていただく。
単身赴任先の主人に段取りを伝え打ち合わせをしておく。
翌日は家族会議形式で私から息子に手紙を渡し息子に読んでもらう。
主人には現地でスタンバイしてもらい電話で参加、息子が娘の手紙を受け取って読んだら息子の気持ちを確認してもらう、
という段取りでした。
その頃の娘の口癖は「迷ったらDO!」でした。書くことも好きです。
娘なら、やるとこたえるでしょう。
娘に話してみると
娘「手紙は書く。でも、ゆっくり考えたいから、自分の部屋で明日の朝までに書く」と言いました。
それでも書いてくれると言ってくれましたので良かったのですが、
翌日、娘は朝からアルバイトでもしも手紙が間に合わなければ書かずに出かけてしまうかもしれません。
出来れば段取り通りに進めたい思いがあり、もう少し話してみました。
母「ありがとう。ゆっくり書いてくれるんだね、明日まででいいよ。ただ、明日、〇〇(息子)と話せるタイミングが何時かがわからないから、できれば今日中に書いてもらえると助かるんだけど」と言うと
娘「わかった!残りの登校すべき日数は?」
母「18日」
娘「ふーん」と言って部屋に入って行きました。
しばらくたつと
娘「できたよ〜〜」と部屋から出て来て手紙を差し出しました。
娘「どーお?」
母「とてもいいと思うよ」
娘「そお?なんで?」
母「〇〇(娘)の優しさが入ってて」
と言うと、ニッコリ笑っていました。
それから手紙の内容を藤本先生にメールで報告しました。
手紙の内容、一部書かせていただきますね!
今年度、残された登校すべき日数18日のうち、 もちろん全日数登校するのが当たり前であり 望ましいですが、 3分の2である12日登校する事をノルマとし、 このノルマをクリアできなかった時点で即刻、 今すぐ就職か、高校卒業後に就職か、大学進学 か決断すること。
〇〇(息子)は悪いやつではないけれど、 この社会で上手くいきていく力がたりません。 解決しないと、一生を左右する問題です。 父母がいなくても、強く生きていく力が 必要です。 |
翌日、藤本先生に入っていただき私から息子に手紙を渡しました。
「お姉ちゃんからだよ、読める?」と言うと、息子は声を出して読みました。
藤本先生から、お姉ちゃんの気持ちを補足して丁寧に伝えていただきました。
先生「お姉ちゃんの気持ち、分からない?」
息子「わかります」
このタイミングで単身赴任先の主人から電話をかけてもらい息子に受話器を渡しました。
これからどうしていきたいのか息子に確認してもらうと
「今の高校に通いたいです」と言いました。
翌日の月曜日から、お姉ちゃんが提示した最低限の日数を守って登校し高校2年生の3学期を終えました。
その後、娘は息子についての話しをほとんどしなくなり、
訪問の先生方にもご挨拶するようになりました。
我が家は、下の弟が不登校になりました。
上の娘に登校への影響はありませんでしたが、娘の気持ちや息子への態度、親との信頼関係など、少なからず影響がありました。
最初に、娘との距離の取り方をご指導いただき、それを守ることで、その後の対応が入って行くということも学びました。
娘の気質、行動パターンから、
あくまでも親の主導のもと、長女としての子どもの気持ちを弟に伝える、というこの対応は、
今振り返っても、とても私達親だけで出来ることではありません。
親の立場を守りながら、なおかつ娘のカタルシスをとる。
そして息子のやる気も引き出してくださっているのです。
今の娘を見ていると
こうした経験を積み重ねさせていただき、社会に出てから見る世界は変わったのではないかなと感じています。
*我が家に合わせて専門家の先生のご指導のもと、対応させていただきました。
支援中のご家庭は、必ず担当の先生に確認してから対応お願いいたします。