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大学から専門学校へ

2学期も折り返し地点を過ぎました。

長い2学期を乗り切るのは、大変なことだと思います。

「学校」という、「動いて外に出ることができる場所」があることに感謝して日々対応頑張りましょう!

 

息子の大学から専門学校への道のりを振り返ります。

 

復学支援から私達親も自立させていただいた時期です。

2回目の大学2年生

 

息子も、留年が決まった2回目の大学2年生になったあたりから自分の道を考えはじめていたようでした。

 

大学に入ってからは半年に1回、家族会議をしていました。

 

新年度が始まる前の春休みと、後期が始まる前の夏休みに大学から成績表が届きます。

その成績表を見ながら、主人、私と息子の3人で今後について話し合いをしていました。

成績表の内容に問題がありますので、話し合う為の正当な理由になります。

家族会議を断るわけにはいかない状況になっていましたので、息子も受け入れていました。

 

次の学期についてと、大学を卒業してから将来どうしたいのかも話し合っていました。

 

就職するにあたり「大学から学生として就活する」という進み方をイメージできるように話し合いました。

 

留年が決まった新年度前の家族会議で気持ちを確認した時に、

息子が「専門学校に行こうかと思う」と言いました。

 

どんな専門学校か確認すると具体的には出てこなかったので、その時は、やはり大学を続けて頑張るということになりました。

 

そして主人の転勤が決まり一緒に生活出来ることになりました。

 

長くお世話になりました支援を離れ、主人と二人三脚で対応していくことに致しました。

大学中退

 

その年の夏になると自動車教習所に行きたいと申し出て来ました。

資金は自分で学生ローンを組むということでした。

その後調べると、学生ローンを組む場合は申し込みを大学の生協を通さないといけないと教習所から教えていただいたそうです。

 

そうすると息子から

「もう大学は無理。教習所の代金を貸して欲しい。自分の貯金もあるから足りない分をお願い」と私に話してきました。

 

教習所の代金については私から主人に話すことにしましたが、大学のことは自分で直接話すように言いました。

 

母「わかってると思うけど、ただ辞めますではお父さんも、もちろんお母さんも、納得は出来ないよ。大学を辞めて、何をするのか将来どうするのか考えて話しなさい」

 

息子「わかった!」

 

 

そして、主人と打ち合わせです。

 

 

まずは話しをするタイミングとして、教習所をつまずかないように通い、目処がついたころを見計らい大学の話しをすることにしました。

 

大学を辞めた後どうするのか、はっきりした目標が出ていたら、そちらの方向で認めてあげる。

はっきりしない場合は期限を付けて目標をみつけられるように声をかけていくことにしました。

 

つい言ってしまいそうですが「やればできる」「頑張って」は、息子にとっては「やれ、頑張れ」とやらされていると感じさせ勇気をくじく恐れがあるので使わない。

 最後に「やってみなさい」と言ってあげる。

 

などを話し合い決めました。

 

 

教習所の方はスムーズに進み、仮免が取れた9月の初旬に、ちょうど大学から成績表が届いたので、そのタイミングで家族会議をすることにしました。

 

 

父「〇〇(息子)ここに座りなさい」

 

息子、座ります。

 

父「大学から成績表が届いてるぞ」

 

息子「はい」

 

父、成績表を出し

「おまえの考えを聞かせてくれ」

 

息子「大学生活を続けることは無理だと思う、辞めたいです。辞めて専門学校に通いたいです」

 

父「そうか、どんな専門学校なんだ?」

 

息子「ここです」

専門学校のパンフレットも用意してありました。

 

父「ここか、どうしてここに行きたいの?」

 

息子「自分に興味があることは何か考えて、そうゆう学校を探しました」

専門学校について詳しく説明しました。

 

父「そうか、興味があることが見つかったんだな」

 

息子「はい、ここで勉強して資格も取って関係する仕事に就きたいです。学費も自分で借りて払います」

 

そう話しましたので、こちら側も

専門学校に切り替える方向で話しを進めました。

 

父「わかった、やってみなさい」

 

 

そうと決まると、大学退学の手続き、専門学校への入学手続きなど、調べてみると、全てギリギリのようでした。

 

すぐに主人が大学に電話をして事務の方に確認をすると、電話した日の翌日が後期の手続きの最終日でした。

その日を過ぎると実質後期に入ってしまいますのでスムーズに退学することが出来るのは半年後ということになると教えてくださいました。

 

大学を辞めるにも、いろいろあることがわかりました。

 

専門学校のパンフレットを読むと入試もあるようで、面接日の設定もあると書いてありました。

 

間近に入試相談会があるとのことでしたので、何はともあれ相談会に行くようにと息子に話しました。

 

相談会に行ってみると、息子の場合は自己推薦となり、その相談会での面接と後日論文を提出することが必要だとわかったそうです。

また、高校で内申書を発行してもらわないといけないとのことで、すぐに高校に電話し取りに行っていました。

 

 

新しい生活

 

主人が帰って来ると、今度は上の娘が就職先を決め、仕事に専念するため職場近くで1人暮らしをしたいと申し出て来ました。

 

勿論、応援することにしました。

子供の自立ほど嬉しいことはありません

 

娘とはいえ、こんなに趣味も嗜好も合うものなのかなと思えるほどでしたので、いつかは巣立つとわかっていても淋しいものでもありました。

でも頑張ろうとしている娘を応援しないとです!

今は娘も更に成長し、お仕事も充実しステップアップさせていただいています。

 

息子の方は、

論文も無事に出来たようで書類一式を持って専門学校に提出しに行きました。

郵送だと心配なので自分の手で持っていく、とのことで息子の本気度が伝わってきました。

 

そして、その年末に入学認定書をいただきました。

 

その後の1ヶ月は動きませんでしたが、しばらくするといろいろなアルバイトに行っては辞めるを繰り返し、、、

やっと自分に合うアルバイトをみつけられたようでした。

「バイト楽しい」という言葉にホッとしていたことを思い出します。

 

この頃、息子は健康管理の方も続けていて標準体型になりました。

 

専門学校の入学式の準備をすることになり、

大学入学の時に作ったスーツを着てみたところダイエット広告のようにブカブカで、

この時は主人と息子と大笑いでした(^^)

 

仕立て屋さんに相談したところ、修理となると新調する場合と同じ金額がかかるということでしたので、専門学校の入学式には主人の昔のスーツを着ていくことになりました。

 

式には主人も一緒に行きました。

 

高校、大学と一緒に行けなかったので、最後の学生生活になるであろう専門学校の入学式には必ず行く!と言っていました。

 

息子も笑っていました。

 

入学式に一緒に行ったお陰で、専門学校のことは私より主人の方が詳しくなりました。

 

息子との会話もスムーズで、専門学校は幸先の良いスタートとなりました

結局、大学は断念しましたが、高校を卒業する為に目指す目標としては大学受験が必要でしたし、次の目標をみつけられたのも大学生活のお陰だと思っています。

 

また、大学も見極める時期が大切だと感じています。

息子の場合は、2年遅れまでならなんとか取り戻せると考えていました。

 

専門学校へ進学することを決めてからは、車の免許を取り、試験の論文、成績表の取得など事務関係で高校にお願いにあがったりといったことも積極的にどんどん進めていました。

 

後から聞ける機会がありましたので、息子に「どうやって専門学校をみつけたの?」と聞いてみると

「自分が何に興味があるか、何をしたいかを真剣に考えた。それを勉強出来る学校を探してみたら通える範囲にあった」と言っていました。

 

自分自身を見つめることが必要なのだなぁ、と改めて感じました。